「賭博者」では、お祖母さんと主人公がルーレット賭博にのめりこむ姿が実にリアルに描かれています。それもそのはず、
著者のドフトェフスキー自身、賭博にのめりこんで莫大な借金をかかえ、その返済に追われてせっぱつまっていたからです。
この作品はステロフスキーという出版人との不利な契約のもとで、たったの27日で完成させています。彼は速記者を雇い口述筆記により窮地を脱しましたが、
後にこの速記者のアンナ・グリゴーリヴナ・スニートキナと結婚しています。彼女は終生、最良の伴侶となってドストエフスキーの生活を安定させ、
晩年の傑作を生み出す影の力となりました。
ところで、お祖母さんも主人公も、ともにルーレット賭博で最初は大勝ちして資金を大いに増やすのですが、賭け金が大きくなり、
負けが込むと熱くなってさらに増やしたので、あっという間にすべてを失いました。
ここでの賭け方はまさに一か八かのギャンブル的な張り方で、最初から賭け金を大きくして1点賭けをしています。
(ヨーロッパ式)ルーレットの場合、0から36までいずれかの数字に賭ける1点賭けが最も当たる確率が低く(1/37)、配当は35倍です。
「賭博者」では小さな額を賭けながら慎重に流れを読んで勝負するのではなく、短期決戦の一発狙いで破綻する姿が描かれていますが、
これは典型的なギャンブルの負けパターンです。
● 「ゼロはね、お祖母さん、同元の儲けなんです。玉がゼロの上に止まったら、台の上におかれた賭け金は全部、
勘定抜きで胴元のものになるんですよ。もっとも、勝負なしになることはあるけど、その代わり胴元は何も払わないんです」
「なるほどね! じゃ私は何ももらえないのかえ?」「いいえ、お祖母さん、もしその前にゼロを賭けていて、うまくゼロが出れば、
35倍払ってもらえますよ」
「なんだって、35倍も。それで、ちょいちょい出るのかい? ばかだね、あの人たちは、どうして賭けないんだろう?」
「出ないチャンスが36もあるからですよ、お祖母さん」(p158)
ここでは35倍という配当の大きさだけに気を取られ、出ない確率が36/37もあるというリスクは頭から消え去っています。
自分にとって都合のよい情報だけが頭にインプットされ、見たくない、聞きたくない、身が危うくなることなど考えたくないという、
人間が陥りやすい心理状態をドストエフスキーは実にうまく描いています。
ここで配当というのは、賭けた金を除いてその35倍が支払われるということで、賭け金を含めると36倍が戻ってくるということです。
なお、ルーレットはゼロおよび1から36までの数字のどれかにボールが入るのをあてるゲームです。もしゼロに賭けたとすると、
ゼロが出て勝つ確率は1/37でそのときの利益は35倍、ゼロ以外の数字が出て負ける確率は36/37で、損失は賭け金と同額です。
このとき、
● 最初、お祖母さんは理解できなかったが、ディーラーが台に乗っている賭け金全部と一緒に彼女の四千クルデンもかき集めたのを目にし、 お祖母さんがつい今しがたゼロを罵ってあきらめた矢先に、あれほど長い間出ずに、ほとんど二百フリードリッヒ・ドル近くも我々が負けてきたゼロが、 まるで嫌がらせのように飛び出したのを知ると、あっと叫んでホール中に響くほど両手を打ち鳴らした。(p187)
お祖母さんは、二度目に臨んだゲームでは初回のようにはうまくいかず、次第に変調をきたしてきます。
長くゼロにだけ賭け続けて当たらず、主人公のアドバイスでようやくあきらめてゼロをやめた途端に皮肉にもゼロが出たことで、主人公に向かって癇癪を爆発させます。
● 今回は私も、チャンスの流れの中では常に大きな金額をかけるタイミングもあるのだからと説いて、できるだけ賭け金を少なくするよう極力おばあさんに吹き込もうと努めた。
だが彼女はあまりにも性急なので、最初こそ同意するものの、勝負の間じゅう彼女を抑えておくことなどできなかった。
十フリードリッヒ・ドルか二十フリードリッヒ・ドルの賭けに勝ちはじめるや否や、「ほらね! ほらね!」と私を小突きだすのだ。
「ほら、勝ったじゃないの、十フリードリッヒ・ドルでなしに四千賭けておけば、四千儲かったところだよ。でなくて今は何て始末だえ? これもみんなお前さんだよ
、お前さんのせいよ!」(p194)
お祖母さんは、負けだすと「あのときああしておけば」という思いと、そうしなかった原因を自分ではなく「人のせい」にする悪循環に陥ります。
そして負けを取り戻すために小額の賭けには満足せず、リミットいっぱいを賭けようとします。そしてやがてツキに見放されてすべてを失っていくのです。
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